特別養護老人ホーム玉樹 施設長
2005年7月1日入社
大学卒業後、地元茨城県八千代町で10年の塾講師経験を経て、現職。理事長である父からの誘いを受け、地域の介護問題に向き合う中でその必要性を強く実感し、現在に至る。
福祉の世界へ踏み出した原点
いまからおよそ25年前のことです。
私が福祉の世界に足を踏み入れたきっかけは、理事長である父の一言でした。
「八千代町には施設が足りなくて困っている人がたくさんいる。特別養護老人ホームをつくりたい。一緒にやってくれないか。」当時、塾講師として働いていた私にとって、新たな分野に関わることは大きな覚悟が必要でした。
しかし、八千代町に介護による支援を必要としている人たちがたくさんいて、家族の介護に苦しんでいる方々も大勢いる一方、地元にはそれらのニーズを受け入れる介護施設が足りないことなどを理解していく中で、「この地域に必要な場所をつくって地元の多くの人の助けになりたい。」と考えるに至り、福祉の道に進むことを決めました。
この時の思いは、いまも変わらず、私の原点であり続けています。
子ども時代に感じていた「高齢者施設」イメージ
私が小学生だった1980年代。高齢者が施設に入ることをまるで「姥捨て山」のように語る声を聞くこともあり、「高齢者施設」の印象はどこか暗い響きを感じていました。それは特定の誰かが話していたというよりも、当時の社会全体に漂っていた空気のようなものだったのだと思います。
子どもだったこともあり、その意味を十分に理解できていたわけではありませんが、「行かなくてすむなら、その方がいい場所」というイメージだったことは大人になっても残っており、自分が関わるのであれば、その印象を変えたいと思っていました。
現場実習で出会った現実
特別養護老人ホームを立ち上げるにあたり、福祉の勤務経験がなかった私は、まず、ヘルパー資格を取るために高齢者施設での実習をすることにしました。その実習先で目にした光景は、今も忘れられません。
トイレに行きたいと訴える声があっても、決まったトイレの時間までは待つようにと言われていました。要はおむつに排泄してということです。やがて定時になると、廊下には順番を待つ車いすの列が作られます。そこには、人の尊厳よりも施設の都合が優先されている現状があり、衝撃を感じました。
入浴にも驚きがありました。お風呂の前には衣服を脱ぎ、タオルをかけられたまま車椅子に座り、順番を待っています。浴室には寝たまま入ることができる介護用の浴槽があり、その両側には、順番を待つ方がストレッチャーで横になっています。右側の方が湯船に浸かっているあいだに、左側の方の体が横たわったまま洗われます。左の方の体を洗い終わると、湯船に浸かっていた右側の方が出され、左側の方が湯船へ。そしてまた次の方が右側へと運ばれ体を洗い始めます。この一連の流れは滞ることなく、淡々と続きます。乱暴な扱いではありません。しかし、その光景は「人の生活」の一部というより、「工場の流れ作業」の光景に感じられました。
食事も決められた時間に合わせて、車いすに乗った高齢者の方々が、大きな食堂へと次々に運ばれていきます。定時に食事を始めるために、食事の時間の一時間近く前に席に運ばれ、そのまま待つ方もいました。まだ何も並んでいないテーブルの前で、ただ時間が過ぎていきます。
なかでも食事の介助が必要な方々は一か所に集められ、一人のスタッフが立った状態で複数の方の口に次々とスプーンを運んでいます。一人目が口を開けて食事を口に入れ、二人目が口を開けて食事を口に入れ、三人目が口を開けて食事を口に入れと、その動きは順番に淡々と続きます。移動時に手間がかかるからか、多くの方がテーブルの椅子ではなく、車いすのまま食事を取らされていました。足をしっかり床につけることもなく、姿勢を整えることもない状況で、口に運ばれる食事を召し上がられていました。また、食事のあとの薬を飲む時間は、食堂から廊下へと移動し、手すりに沿って車いすが並べられ、口を開けている方々に対して、順番に薬が口元へ入れられていました。
決して、誰かが怒鳴っているわけでも、乱暴に扱っているわけでもありませんが、「食事を楽しむ時間」というより、「決められた時間内に食事を口に入れ終える作業」のように感じられました。食事の味や香り、食感、暖かさなどを楽しむ余白は、ほとんどありませんでした。

人生を懸命に生きてきた人の「終の住処での生活」がこんな形であっていいのだろうか。その疑問は、私の中に深く深く残りました。その場にいながら何もできなかった自分に、無力さを覚えました。同時に「このままでは自分も同じ作業を行う歯車の一部になるのではないか」という恐怖もよぎりました。
当時、この気持ちを福祉関係者の方に話すと、「世の中では当たり前のことが、施設では通らないこともあるんだよ。」と言われました。しかし私は、その言葉を受け止めることができませんでした。受け入れてはいけないとも思いました。
「介護される側」を体験して見えたもの
実習の後、一緒に施設を立ち上げるスタッフメンバーで、「介護される側」の立場を体験する研修を企画しました。
「寝たきり」の体験では、実際に拘縮(関節が固まり伸びない状態)を再現し、長時間横になったまま過ごしました。自力で寝返りを打てず、2時間に一度体位を変えてもらうまで待つ時間の長さ。思うように体を動かせないもどかしさ。天井を見つめるしかない孤独。その一つひとつを、身をもって感じました。
「車いすに座り続ける体験」では、常に見上げる姿勢となり、視線の低さに戸惑いました。立っている人の会話が遠く感じられ、自分だけが取り残されているような感覚がありました。
「食事を介助される体験」では、お粥に薬が混ぜられ、そのまま口に運ばれます。味わう余裕はなく、うまく飲み込むことさえできませんでした。介助する側に回ったスタッフの目には、涙がにじんでいました。
違和感を出発点に施設をつくる
全国各地で高齢者施設が整備されたことで、要介護の状態でも衣食住が保障され、多くの高齢者やご家族が救われてきたことは事実です。
しかし、生活の質が重視される現代において、本当にこのままでよいのだろうか。
そう自問しました。そして、「このままでいいはずがない」とも強く思いました。
こうした経験から、新たに創設する施設では、業界の常識にとらわれず、「人として当たり前のことを手放さない」「諦めることを当たり前にしない」と心に決めました。
もし「施設ではこれが当たり前だ」と言われるのであれば、その“当たり前”そのものを問い直す。異業種からこの世界に入ったからこそ、慣習をそのまま受け入れるのではなく、「本当にこれでいいのか」と一つひとつ立ち止まり、意味を問い直しながら考えていきました。
こうして、私は施設のあり方を一つずつ形にしていきました。
トイレ(排泄)は時間で区切らず、できる限りその人の意思に合わせてトイレにお誘いします。トイレで排泄できる方が、おむつでの排泄を前提とされてしまうことは、人としての尊厳を損なうことにもつながりかねません。そのため、座位が保てる方については、おむつを前提とせず、トイレでの排泄を基本としました。
食事は、生きる力を育む大切な時間です。介助を流れ作業にせず、ご飯の炊けるにおい、味噌汁の湯気。温かいものは温かく、冷たいものは冷たく提供する。テーブルや椅子の高さを整え、足をしっかり床につけ、前かがみの姿勢がとれるようにする。見た目にも心を配ります。食事の時間を「作業」ではなく、五感で楽しめる時間へと整えました。また、その人の好物や、「たまにはこれが食べたい」という思いにも、できる限り応えていくようにしました。
入浴は個浴を基本とし、一対一で関わります。声かけから始まり、服を一緒に選び、ゆったりと湯につかる時間を大切にします。時には内緒話が生まれることもあります。入浴後のケアまで、同じ職員が責任を持って関わります。
さらに、買い物支援やおしゃれを楽しむための支援など、これまで施設では難しいとされてきたことにも取り組んできました。どれも、本来は「人の生活」において特別なことではありません。
「一人を幸せにできなければ、一人も幸せにできない」
その思いで、一つひとつの“当たり前”を大切にしながら、施設をつくってきました。
「普通に暮らす幸せ」を施設から地域へ
こうした積み重ねの中から生まれた理念が、「普通に暮らす幸せ」です。
朝起きて、着替えて、食べたいものを食べる。トイレに行きたくなったら行き、湯船につかって「ああ、気持ちいい」と言えること。誰かに名前を呼ばれ、安心して弱音をこぼせること。
そんな当たり前の一日を守りたいと思いました。
「自分の家族だったらどうだろう」と問い続けながら、一人ひとりに向き合い、「人として当たり前のこと」を実現し続けています。
そして今、新たなステージとして、「暮らしの危機と困りごとをなんとかするプロフェッショナル」というミッションを掲げました。
介護の問題だけでなく、孤独・孤立、買い物困難、子どもの貧困、災害弱者、若年性認知症など、地域に広がるさまざまな課題に対し、行政や地域団体と連携しながら、解決に向けた取り組みを進めています。
これは、「普通に暮らす幸せ」を施設の利用者の枠だけにとどめず、地域全体へと広げていくための挑戦でもあります。
「この地域に必要な場所をつくり、地元の多くの人の助けになりたい。」
その原点を忘ることなく、これからも八千代町から県域、そして全国へと視野を広げながら社会課題の解決に向き合い、多くの人の「普通に暮らす幸せ」を守り続けていきたいです。